参 実践に向けて
住むところだけでなく他の用途も加えて,いまこの方針に沿って計画を進めている.それは老朽化した複数の建物を修繕するか建て替えるかの相談を受けたことをきっかけにして始まった.彼はそこが地元で,壮年に至る現在までこの地域の変化をずっと見てきたのだが,何か地元の役に立つことを自分の事業のなかで実現したいという思いがあることを話してくれた.私も同じような思いがあることから,先に述べてきたことを彼にぶつけてみたところ,理解を示してくれて現在に至っている.
しかし,この計画が今後順調に進むかどうか分からないし,そもそも彼のような人に巡り合うこと自体奇跡に近い.社会問題と向き合うとき,このような奇跡頼みではあまりにも心許ない.
そこで,安定してこのような計画を実現するために,その可能性について,社会保障も考慮しながら考えてみたい.
戦後の焼け野原に,国は新しい日本の住宅理念を法律として示そうとした.それが公営住宅法と日本住宅公団法だ.1951年に公営住宅法が公布され,前年に公布された生活保護法[5]と住宅扶助を介して連携し,住宅に困窮する低額所得者に対して健康で文化的な生活を営むに足りる住宅を整備してきた.また,1955年に日本住宅公団が設立された.第一条法律の目的を公営住宅法と比べると,対象が低額所得者から住宅に困窮する労働者に代わり,また,低廉な賃貸という言葉が消え,代わりに防火性能,集団住宅,宅地の大規模な供給,健全な新市街地,土地区画整理事業などの言葉が盛り込まれ,公営住宅から一歩進もうとする意志がうかがえる.そして,いま住むことを再び問い直すときが来たのだと思う.2006年に住生活基本法[6]が施行され,2017年に住宅セーフティネット制度[7]が始まり,2019年に住宅確保要配慮者に対する賃貸住宅の供給の促進に関する法律[8]が施行された.これら新しい施策は本論考とも通じる部分がある.
しかし,公営住宅法が施行されて70年経つがあい変わらず住宅難は存在している.要点は人が住むのに相応しい質と住む権利を確保することだ.
質については,行政が主導して質を論じてきたことに難しさがある.行政は説明責任を果たすためなのか,面積や費用のように物を定量化することで質を判断してきた.しかし,現実は多くの要素が複雑に影響し合っているため,各要素を定量化して個別に評価しても,要素同士が影響し合う質を評価できない.また,住む権利については,コロナ対策の手続きでも指摘されたことだが,複雑な基準で手続きが煩雑になり,必要とする人が制度を活用し難くなっている.実はこれも無理な定量化が混乱の一因に思える.
そこで,根本的に考え方を変えてもっとサッパリした方法を提案する.質の高い安い住居を用意して,希望者は誰でも入居可能という方向に転換してはどうだろう.そこで,四つの要点を示す.
1)審査員を普段実務をこなす設計者の中から選任する.
建築を構成する要素が影響し合うことで生じる質まで評価できるのは,普段設計に携わっている設計者が相応しい.審査員選出に際しては,学会などの権威からの推薦とし,政府からの任命も承認も受けない.必要な場合は国会の承認とする.
2)人が住むのに相応しい質は審査員が概念を示す.
この論考ではたたき台として二つに集約したが,それは審査委員会がこれから示すべきことだ.
3)この概念に適う住戸をベーシックハウス(BS)として審査員が選出する.
公営,UR,公社,民間など事業主体は選ばないが,世帯規模が縮小していく社会の住宅難を念頭においているため,主な対象を二人世帯とし,住戸面積は凡そ50m2とする.また,建設コストの削減と低賃料を考慮し住宅ストックを対象に想定しているため,建設コストを回収した既存住宅から選ぶ.
4)BSは公により資産や暮らしぶりに関係なく希望者すべてに行き渡るよう用意する.
例えば,生活保護法第一条法律の目的で,~その最低限度の生活を保障するとともに~という一文がある.自助できない人に対し,最高でも最低限度の生活までしか保証しないという印象を与えないだろうか.この印象が差別の元となってスティグマに至り格差を助長する一因になっているように思える.このようなことはこの法に限ったことではなく,基準を決める議論の概要などでも度々目にする.そこで,誰にとっても共通する質を高めることに上限を設けない代わりに,希望者は誰でも入居できるとすれば公平かつ簡素になり,利用者も制度を活用し易くなると考える.
終
最後に,甚だ大雑把だが財政的視点で考える.財源は社会保障費の住宅扶助,行政投資の住宅分,また,URや公社,借り上げを含めた公営住宅に拠出される分も対象になる.
家族類型を無視し,国立社会保障・人口問題研究所の資料から得た2018年の住宅扶助費を,e-Statによる同年の住宅扶助の被保護世帯で除すと,一世帯当たり月額約3.6万円となる.この金額を2040年に推計される二人世帯向け住戸数に乗じて得た金額は前述の財源では賄えず,住宅関連の財源だけで考えるのは限界に思える.そこで,考え方を根本的に変えてベーシックインカム(BI)[9]に注目した.ここでは,原田泰著「ベーシック・インカム国家は貧困問題を解決できるか」を例に考える.この本では,二十歳以上に月7万円,二十歳未満に月3万円を給付する場合を例に実現の可能性を論じている.BIは所得控除の代わりになるが給付と税が一体の制度だから,まずは30%の所得税を皆一律に課す.その上で,BIに置き換え可能な予算からも捻出し財政的可能性を証明している.
仮に,これまで公が負担していた住宅扶助月額3.6万円分を入居者が支払うとすると,二人世帯に支給される計14万円のBIから一戸当たり月額4万円を引いても食費分まで残り無理はないように見える.もし,同じ賃料ならBSとその他の賃貸住宅に差はないが,BSが賃料を全国押しなべて一律にすれば,物価の安さや職場の近さなど,自分の生活形態に合わせて住む場所を自由に選べる利点がある.
BIは決して働くなと言ってはいない.生活の基盤を確保するから落ち着いて生活向上に努めて欲しいと言っている.本論考の意図も同じだ.英気を養うBSを基点に,物事に前向きに臨んで状況を好転させて欲しい.ここで試論したことは日常で知り得た情報の継ぎ接ぎに過ぎず,BIの支給額もBSの賃料も今後の検証で決まる.しかし,少しは可能性がありそうだ.この可能性を信じ新しいことに臨めるかどうかで将来は大きく変わる気がする.