どこを見ている?

 「誰が」ではなく「何を」に視線を注ぎ、耳を傾けるべきだと思うのだが、皆どこを見ているのだろう?肩書や立場が人を育てるという人もいるが、だからといってその立場にいる人や何かそれっぽい肩書の人がいつも妥当だとは限らない。人間だから間違いもするだろうし、悪意のある輩もいるだろう。それに、そもそもこの場合人を見ている様で見ていない。見ているのは立場と肩書だ。人を見るとは、その人の言動を見て信じるに足るかどうかということではないのか。結局、言動に傾注するしかない。
 以前そういう話をしていたら、ある人に「バカに内容の良し悪しなんてわからないのだから、人を見てりゃいいんだ。」と言われたことがある。その方が確率が高いということかもしれないが、やはり同意し難い。なぜなら、失敗したときの危険度が違うからだ。人を見て失敗すると多くの人が同じところで失敗するから後戻りできない流れができてしまっている可能性が高い。しかし、内容を見て失敗する場合は、人により注目するポイントがずれたり、捉え方が少しずつ異なることで、間違いに大きな偏りができ難いと思う。
 それにしても、あの政権にはいったいどういう人が投票したのだろう?

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