言葉は近似値

 そもそも、厳密?には言語学や記号論のような学問に関わる内容だと思うので、私の能力では近似値にすら遠く及ばないと思うが、だからあきらめるという選択肢は私にはない。
 人に何かを伝えるのも、自分がものを考えるのも言葉が介在する。かなり正確に表現できると思うが完璧ではない。それを指して近似値と言っている。たとえば、ある状況をAがBに電話で説明するとき、Aはその状況を言葉に置き換えて認識するが、Aは既にある言葉とそのルールに則るしかない。たとえ造語を用いてもその使い方は既存の文法の制約を受けているために、現実と若干のずれを生じ近似値として認識されている様に思う。しかし、Aはこの状況を完全に認識できていると思うかもしれない。それは、Aが使う言葉は、辞書的な意味の他に、Aの感情や感覚を反映したものと分かっているから(或いはそれを前提にして)用いているからだろう。しかし、それを聞いたBは、感情まで含めてBがAと同じ過去を経験しているわけではないのだから、Aのニュアンスまで完全に一致して受信しているということはほぼないだろう。たとえ物語のように喩えることで細かなニュアンスも一緒に伝えようと試みても限界がある。
 だからと言って人は何も考えずにいることはできない。最善を尽くしてもなお残ることがあるということをある程度許容するしかない。人と接するとき、常に誤差を伴って相手に伝わっていると慮ることを怠ると不如意に人を傷つけ、それを承知で用いると想像以上に強力な凶器になってしまう。特に文章危険だ。話し言葉のような抑揚も付けられないし、会話のように相手の反応にリアルタイムに対処することもできない。まして文字数の限られたSNSは。

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