人は自分の認識できる範囲でしか世界をとらえることができない。つまり、世界は認識する主体(たとえば人)の数だけ存在する。そして、自分の世界を越えて別の世界を生きることはできない。他の世界は推し測るしかない。
〈世界〉は宇宙とか他のものに置き換えても構わない。便宜的に喩えているに過ぎない。世界でも宇宙でも現実に、物理的に、客観的に現実に存在しているというのを否定しているのではなく、それを認識した途端に自らの視点から捉えられる範囲に限られてしまうということなのだが、自分も含めてそれにいつも自覚的であることは難しい。
私のイメージでは、認識する主体の個別の世界が、お互いに干渉しあいながら現実の世界を埋め尽くしているのだが、干渉しあっていることを忘れると思いやりに欠ける。それと同時に、自分にとっての世界というのは自分にしか作れないということにある時気づく。自律や自立とはそういうことか。